永遠にアオ

オブラートに包まない言葉たちです。

悪夢にほほえみを


やがて少しずつ回復した僕は宇奈月温泉という、温泉街のホテルで調理を再開するようになります。



そこでは派遣らしからぬ、食品の発注、下ごしらえ、実演的な仕事をしてました。




どこにいっても嫌な人は付きものなのでしょうか?

それとも派遣社員という立場が弱すぎるのでしょうか?


そこでもパワハラのような圧迫があり、期間満了するまでの約3ヶ月を耐えました。







「武田さんは本当に使えないですよねー」

「会社を裏切るんですかぁー?」

「お前なめてんのか」


などと、特にミスもしてない時に言われ続けてました。




もちろん、優しい人がいてアフターフォロー的な気遣いをしてくれたのが幸いでしたね(笑)



いつもそういう時は無料の足湯に浸かりながらスピッツの【みなと】を聴いてました。









ある時、仕事帰りにツバメのひなを見つけたのですが、保護しようと思った矢先にネコに食われてしまったのです。





嫌な予感は当たるものです。






なんなら良い予感も当たってくれればいいのに。







『この人には女を支える余裕もない、頼りない』

と思われたのでしょうか。




それまでメッセージで何とか繋ぎ止めていたスーパー遠距離恋愛は、彼女からのLINEで終止符を打ちました。






暑い8月のことでしたが、電話の向こう側は真冬。

まるで気持ちの温度差がそのまま実現したかのような状況ですね(笑)


毎日行なってた男磨きのための筋トレや、ファッション、英語の猛勉強は水の泡となってしまいました。トホホ。







ここからしばらく続く地獄を忘れなかったからこそ、景色を目に焼き付けていたからこそ今の幸せがあると思ってます。



月並みの言葉ですが、どんな事があっても、




◎環境のせいにせず、己を変える

◎自分の事だけは信じつづける

◎絶対に辛かったことは忘れない

◎鬱っぽくなったら陽の光をあびる



これさえ守れば人生はいいものになる(たぶん)
と思います!(たぶん)



そして、必ず一人か二人くらいは自分が堕ちたときでも味方してくれます。

その人を大切にしてください。







長くなりましたし、なんとも中途半端ですが、回想はここまでとします!

もはや日記ではなくなってしまいますしね(笑)





だらだらと面白くもなんともなかったですが、なぜ引き出したかと言いますと、

【無駄だった時間はひとつもない】

と結論として言いたいだけでした。
(最初から言えよってな)






このつづきは書きませんが、もし、リクエストがあって且つ自分のやる気が上がれば載せようとおもいます。



いつも見てくれてありがとうございます!

明日から普通の日記です!パチパチパチ(?)


では!おやすみなさい!

痛みの消しかた

寮を追い出されてから数日は、軽井沢の山でさみしく過ごしました。


季節は春といえど、夜は寒い。





追い出される前に言われた

『クズだな』

が頭の中でグルグル、グサグサ。






あー俺は死んだほうがいいんだ。
消えて楽になりたい。

そう考えても死ねませんでした。


だって本当は、心の根っこでは生きたいんだから。





風前の灯火っていう言葉があるけれど、ほんとうに風が当たるだけでビンタをされたような、そんな感じでした。




重力ってこんなに強かったっけ?









そんな中で、わざわざ富山から親友が迎えにきてくれたとき、本気で「あ、神様だ」と思いました。




彼はこの時も、これから先も僕の人生を救い続けてくれる存在でした。



そのまま彼の富山の実家で一ヶ月ほど居候をさせてもらいました。

ランニングをしたり、酒を飲んだり、動物園にいったりするうちに鬱っぽい感情は消えさり、ふたたび働ける状態に回復しました。


カラダを動かす。これがどんなに精神的に良いことか。

ここまで読んでくれてるあなたへ。

ここまで読んでくれてありがとうございます!


正直、よくまとまってないうちに投稿したり、暗かったり(笑)、ザックリした説明だったり……


一人でも何か時間つぶしに見てくれたらいいや、という気持ちでした。


ところが始めて5日で約150人のアクセスがあり、驚くとともに感謝でいっぱいです。


どこ経由で誰がーーー。までは解りませんが、見てくれて嬉しいです。


人とは生きていて共感できる部分、相容れない部分がありますが、本音をさらしてそれをハッキリさせてこそ大切な関係がみえます。


「相容れないからダメ〜」でも「共感しかできない!」でもなくて、


『全然理解できないことも含めて好き』

であると、しあわせです。



きっと、見てくれてるあなたのこともよくわかんないけど好きです。(曖昧ですみません)



人肌の生温かさでダラダラと続きますが、よろしくお願いします(^^)


いつもありがとうございます

春でも夜は寒い。

どこでもいいから稼げる所に飛ばしてほしい!!





そう派遣会社にお願いしたのが悲劇の始まりでした。






ここなんてどうです?♪♪
と、軽いノリで軽井沢にやってきました。

契約期間は6ヶ月(長っ!!)




町の印象として残ってることといえば、

「小金持ちが暇つぶしに来るところだなあ」
という感想でした。





物価が高く、マクドナルドやカラオケ店など皆無で、コンビニ以外に気を許せる場所がありません。


しかも、その唯一の安心であるコンビニは夜11時に閉店してしまうのです。




遊びに来るには楽しいが、住むにはちょっと………みたいな感じ。






仕事内容は『調理補助』で登録をした、、はずでしたが………。







実際に厨房に入ると、いきなりお客様に出す料理をつくれと言われてパニックになりました(笑)

仕込みから片付けまでほぼ指導なし。



朝から晩まで怒鳴られ、睨まれ、包丁を突きつけられ、ミスをすれば「殺すぞ」と脅されました。


なんとか気合いで乗り切り、寮に案内されると、そこは独房。




顔すらも入らない小窓が一箇所あり、四畳ほどのスペースの相部屋です。



休みの日でも真下にある店舗から
「いらっしゃいませー!」という声やら店内の音楽が聞こえてきました。






辞めたくなっちゃいますよね(笑)







しかし、自分でも


『ここで逃げれば辞めグセがつく』


と分かってましたし、今まで乗り越えてきた困難に比べれば大したことなかったので、何とか持ちこたえてました。

一ヶ月は。





戦争のような一ヶ月が過ぎた頃、身も心もボロボロになった僕は「辞めたいです」と店長にもらしてしまいました。

別にすぐに辞めたいという意思表示ではなく、弱音のようなものでしたが、



「お前クズだな。お前みたいな社会のゴミがいると迷惑なんだよ」



と冷たく言われてその場解雇になりました。




せめて寮に一泊くらいは……………と考えた自分が甘かったです。




その日の晩から僕のいた部屋に新しい社員が入ってきて、ふたたびホームをレスしてしまうのでした。



即座に、馬の専門学校での親友にラインを送ります。



以下実際のやりとり(一部)


僕『仕事クビになっちゃいました』


『おめでとう♪♪ どーするの?』


僕『富山(親友の実家)に行ってもいいですか?』


『もちろん。 車で迎えに行くので待っててください』



親友が来るまでの2日ほど、山奥にあるブルーシートに身をつつんで夜を過ごしたのでした。

ふたたび旅へ

「ちょっと相談があるんだけど」


特に仲が悪かった訳でもなかったので、別れ話ではないと思っていてもソワソワしました。


結論、別れ話ではなかったです。








『英語を勉強したいから、一人で海外留学に行きたい』

ザックリ要約するとこんな内容でした。





自由奔放な者どうし、似ているものどうしで惹かれ合った関係。

ベッタリとした付き合いは互いに苦手でした。




本来ならば「おお、行け行け!」

と言うところでしたし、(無駄に強がって)実際に言ったのですが、
内心『何でだよ!!!!』


と思ってました(笑)




貯金をして、一緒に海外を旅する約束をしていたのです。




電話がかかってから数週間で、もやもやとした僕を置いて彼女は海外へと旅立っていきました。



仙台にいる理由も無くなり、派遣の期間満了を機に僕は軽井沢へと移動します。

心のホーム

世の中に必要なリアクションは【好き】か【無視】だけであって、【嫌い】ならば放っておけばいい。

特にメディアやSNSではしつこく個人を追及したり悪口を言ったり……、



他人を掘り下げるくらいなら自分を掘り下げろ!!と思います。




悪口を言う方が常に【脇役】であり、言われるのは【主役】というのがリアル。






僕のことも、多少は知った上で読んでいただきたい。
と始めた回想ですが、思いのほか長くなってしまいました。








前回はなんとか仙台で派遣社員として建て直しを図った所でしたね。


はじめての職場はホテルの調理補助でした。
補助、といっても調理済みのものをホイホイと器に盛り付ける作業です。






最初に仕事を教えてくれた方はどうやらアルコール中毒らしく「クサっ!!全身クサっ!!」と酒の臭いに心が乱れ、その日はほとんど覚えられませんでした。






翌日になるともうひとりの補助スタッフが出勤してきました。
その方はフィリピンから働きに来ている女性で、若い頃から在日していたので日本語はペラペラでした(前述の酒臭い人よりも)

シンガーとしても活動しており、仕事中に口ずさむ歌だけで虜になってしまうほどの実力です。





どうやらお子さんもいるらしく、ユーチューブに出ているという事でその子の名前を書いたふせんを渡されました。


確かに調べてみると、オーディション形式の番組に出ていました。

動画に興味の無かった僕は、まさかその子が数年後に自分の運命を変えるとは知らず、何も観ないでケータイを閉じます(笑)








フィリピン人の女性と一緒に過ごしていくうちに、やがて彼女のことを母親のように慕うようになります。

ひとり知らぬ町へきて心細かったので、その人がいるだけであったかい、ホームにいる気持ちでした。






仙台にきて一ヶ月が過ぎ、何もかも上手くいっていた時。

当時の彼女からメッセージがきます。

僕の誤算で、同じ仙台に住んだはいいものの実際は互いの距離が遠く、ラインでやりとりをするだけでした。



「ちょっと相談があるんだけど」

とことん堕ちてゆく。

焦って仕事を探してしまったばっかりに合わない職へつき、早々と辞めることになってしまいます。


少ない手持ち金を崩しながら、時には駅のホームで、時には格安カラオケの汚いソファでしばらく過ごしました。

体は健康そのものでしたが、心は情けなさやら自責でボロボロ。




もちろん、実家へ帰るという事もできました。
しかし4人兄弟の長男坊であった僕には変なプライドがあり、別の住処を探すことにしました。




当時付き合っていた女の子がいたのですが、地元は仙台。遠距離恋愛中でした。





●お金を稼げる
●家賃はタダ
●場所は仙台
●即日勤務


この条件で探して、何とか恋愛も仕事も建て直そうというあまりにも都合の良すぎる計画。



こんなツギハギだらけの人生ですから、心のどこかで上手くいかないと弱気になってましたね(笑)





それでも少しずつでいいから好転させたいと思い、仙台で派遣社員として再スタートを切ります。





ホームというには足りないですが、雨風しのげる場所があるだけで、ちょっぴり幸せでした。


何やってんだお前は!!と思われるかもしれませんが、一度壊れてしまうとなかなか元には戻れません。

ダメなのは自分が一番わかってるから、人に指摘されると余計にどツボにはまってしまうんです(笑)




悪い事のあとには良い事がある??

それはマンガの話です。
悪い事のあとには悪い事がこれでもかというくらいに続きます。


つづく。思いのほか長い。(長くてゴメンね)